交戦勢力
背景
度重なる凶作と苛酷な税、宦官の腐敗で後漢の民心は底をついていました。太平道の教主・張角は病の治癒と救済の約束で数十万の信徒を集め、「蒼天已死、黄天当立」のスローガンのもと甲子の年の決起を準備します。密告で計画が漏れると、張角は予定を早めて全国同時蜂起を命じました。
経過
184年春、頭に黄色い頭巾を巻いた数十万の蜂起軍が八つの州で同時に立ち上がり、役所を焼き払いました。朝廷は皇甫嵩・朱儁らに討伐を任せる一方、地方の自主武装を許可し、この措置が劉備・曹操・孫堅のような群雄に最初の舞台を開きます。劉備は義勇軍を率いて初の功を立て、曹操は騎兵を駆って潁川の黄巾軍を撃ち、孫堅は宛城攻略で真っ先に城壁を登りました。張角がその年に病死すると蜂起の勢いは急速に衰え、主力は年末までにほぼ鎮圧されました。
結果と影響
蜂起自体は1年以内に挫かれましたが、後漢の権威は回復不能なまでに崩れました。地方官と豪族が合法的に私兵を持つようになり、乱の終わった跡には群雄割拠の盤面が敷かれます。三国志のすべての物語がここから始まります。
正史と演義の違い正史vs演義(小説)
演義はこの乱を劉関張三兄弟の登場舞台として圧縮し、張角を妖術師として描きます。正史の主役は皇甫嵩ら官軍の指揮官であり、蜂起の背景には宗教ブームより民生の崩壊がありました。