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武将

關羽

関羽

: 雲長 (うんちょう)生没年: ? ~ 220

勢力の変遷: 曹操に一時身を寄せた後、劉備のもとへ復帰

紹介

劉備の右腕にして、後世に神として祀られた忠義の化身です。曹操に捕らわれた際も手厚い待遇を断り、顔良を斬った功で恩に報いてから劉備のもとへ帰りました。荊州を一人で預かり、樊城の戦いで魏の七軍を水没させ「その威、華夏を震わす」との記録を残します。しかし呉の奇襲で荊州を失い、麦城で最期を迎えました。死後は関帝廟に祀られ、武と義、さらには財の神とまで崇められる唯一無二の人物です。

主な出来事

  1. 184

    黄巾の乱

    張角率いる太平道の信徒が全国で蜂起し、三国時代の幕が上がる。劉備・曹操・孫堅が討伐戦で初めて名を上げた。

    張角劉備曹操孫堅張飛

  2. 184

    桃園の誓い演義(小説)

    劉備・関羽・張飛が桃園で義兄弟の契りを結ぶ演義の冒頭場面。正史には「恩は兄弟のごとし」とのみ伝わる。

    劉備張飛

  3. 191

    虎牢関の戦い(三英戦呂布)演義(小説)

    劉備三兄弟が虎牢関で呂布と戦う演義の名場面。正史で華雄を斬ったのは関羽ではなく孫堅である。

    呂布劉備張飛孫堅

  4. 200

    白馬の戦い — 関羽、顔良を斬る

    曹操に一時身を寄せていた関羽が、袁紹軍の大将・顔良を大軍のただ中で斬って恩に報い、まもなく劉備のもとへ帰る。

    曹操袁紹

  5. 200

    関羽、五関六将を斬る演義(小説)

    劉備を求めて旅立った関羽が五つの関所を突破し六将を斬るという演義の創作の道程。忠義の象徴となった場面。

    劉備曹操

正史と演義の違い正史vs演義(小説)

青龍偃月刀・五関六将・華佗の骨手術はすべて演義の創作です。正史の関羽はそうした装飾なしでも「万人の敵」と呼ばれた当代最強級の武将ですが、誇り高く同盟を侮ったことが没落の種になったと記録されています。

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参戦した戦い

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