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群雄・その他文官

陳宮

陳宮

: 公臺 (こうだい)生没年: ? ~ 199

勢力の変遷: 曹操の幕僚から呂布の参謀へ

紹介

曹操の初期の幕僚から背を向け、呂布の頭脳となった策士です。曹操が兗州を空けた隙に呂布を引き入れ、根拠地を覆す大反乱を設計しました。以後、呂布の参謀として曹操を何度も窮地に追い込みますが、決定的な瞬間ごとに呂布が策を聞き入れませんでした。下邳で共に捕らえられると、命乞いをする代わりに刑場へ自ら歩み出し、曹操は涙を流しながらその老母と家族を最後まで面倒見ました。

主な出来事

  1. 194

    曹操と呂布の兗州争奪戦

    陳宮の策で呂布が曹操の本拠・兗州を急襲し、濮陽で死闘を繰り広げる。曹操は根拠地をかろうじて取り戻した。

    曹操呂布典韋夏侯惇

  2. 198

    下邳の戦い — 呂布の最期

    曹操と劉備の連合軍が下邳城の呂布を水攻めで追い詰める。部下に裏切られ捕らえられた呂布は処刑され、陳宮も最期を共にした。

    曹操呂布劉備張遼

正史と演義の違い正史vs演義(小説)

演義は彼を「曹操を捕らえて放した後、その非情さに失望して去った」中牟県の県令として描きますが、これは創作です。正史の離反の動機は、名士処刑などで積もった曹操への不信と推定されます。

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参戦した戦い

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