交戦勢力
背景
荊州を無血接収した曹操は、記録上数十万と称する大軍と降伏した荊州水軍を駆って江東征服に乗り出しました。呉の朝廷では降伏論が優勢でしたが、魯粛と周瑜が主戦論を立て、諸葛亮が劉備側の使節として同盟を成立させます。孫権は刀で机を斬り「再び降伏を口にする者はこの机と同じになる」と決断しました。
経過
記録上五万の連合軍は長江で曹操軍の南下を阻み、水戦に不慣れな北方軍は疫病まで重なって船を鎖で繋いだままうずくまりました。周瑜の部将・黄蓋が「敵船は繋がれているから焼き払える」と偽降と火攻めを進言します。油を染ませた枯れ柴を満載した黄蓋の船団が降伏を装って接近し、一斉に火を放つと、折からの強い東南の風が炎を曹操の艦隊と岸辺の陣営まで押し流しました。連合軍が水陸から挟撃すると、曹操は艦隊を自ら焼き払い、華容道の泥道を惨憺と退却しました。
結果と影響
曹操の南進は挫折し、周瑜は続いて江陵を奪い、劉備は荊南四郡を手にしました。この勝利で天下は事実上三つに割れます — 三国時代の勢力図を決めた唯一の戦いを挙げるなら赤壁です。
正史と演義の違い正史vs演義(小説)
諸葛亮の東南の風の祈祷、草船借箭、龐統の連環の計、関羽の華容道 — 赤壁と聞いて浮かぶ名場面の大半が演義の創作です。正史の主役はあくまで周瑜と黄蓋であり、船を繋いだのも龐統の計略ではなく曹操軍自身でした。勝敗を分けた実際の変数は火攻めと疫病です。