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文官

魯肅

魯粛

: 子敬 (しけい)生没年: 172 ~ 217

紹介

孫劉同盟という三国時代の基本構図を設計し、守り抜いた呉の戦略家です。蔵一つを丸ごと譲った豪放さで周瑜と友になり、孫権には諸葛亮の隆中対に比せられる「天下二分の計」をいち早く提示しました。赤壁ではほぼ唯一の主戦派として孫権の決断を導きます。周瑜の死後は大都督を継ぎ、荊州対立の中でも単刀赴会の談判までして同盟の大枠を守りました。

主な出来事

  1. 208

    赤壁の戦い

    周瑜率いる孫劉連合軍が火攻めで曹操の大艦隊を焼き払い、南進を挫く。天下三分の構図がここで固まった。

    周瑜曹操孫権劉備諸葛亮黄蓋程普甘寧

  2. 210

    周瑜病死

    赤壁の名将・周瑜が36歳で早世し、後任の魯粛が孫劉同盟維持の軸となる。

    周瑜孫権

  3. 215

    益陽対峙と湘水の和議

    荊州返還を巡り関羽と魯粛が益陽で対峙(単刀赴会)。結局、湘水を境に荊州を分けることで妥協した。

    関羽孫権劉備諸葛瑾

正史と演義の違い正史vs演義(小説)

演義の魯粛は諸葛亮と周瑜の間でおろおろする人の良い仲裁者ですが、正史の魯粛は大勢を読む眼が誰よりも明るかった一級の戦略家です。単刀赴会の主人公も正史では関羽ではなく魯粛です。

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参戦した戦い

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